スコープについて - diary.jgs.me
先日発売された寺嶋由芙さんの「#ゆーふらいと」が聴けば聴くほどよくて、良さを噛みしめる日々を送っている。もともと、ねむきゅんさんが作詞をしていて興味を持ったのだけれど、寺嶋由芙さんのバックグラウンドを想うと余計よく感じる。BiS方面には申し訳ないけれど、ほんとにBiSやめてよかったなー、とおもう。 そういえば、似たようなことがかつてあった。ももクロさんから早見あかりさんが脱退したときだ。こちらもももクロさん方面には申し訳ないけれど、本当に脱退してよかたったなーとおもう。あそこで脱退してなかったらとおもうとゾッとするぐらい。 と、この「#ゆーふらいと」に関しては感じていたのだけれど、この曲が失恋の曲だっていうひともいて難しい。そういうひとたちは、きっとかつて僕が感じたそれと似たような気持ちでいるのだと想像すると、わからないでもない。
それを冷静に考えると、結局のところスコープが変わる瞬間があるが故にそういうことが起きるんじゃないかとおもう。今までプライベートだったスコープがパブリックになっていくにつれて、自分の意図しない書き換えがあったりして悲しくなっていくような。特にアイドルというのは、ファン層が拡大していくにつれてよりマスに訴求できるようなものが求められるようになっていくのは容易に想像がつくし、現にそういうことがもう何度も起きている。 なんていうか、主観的になりすぎずに接することができればまた違うのかもしれないけれど、やっぱり「ああ、俺の曲だ」という曲がたくさんあって、そういうものには気持ちがこもるんだろうなと。きっとそういうことが暗黙的に横たわっていて、それが刹那性を生んでいるのかもしれない。そして、その刹那性がまた僕たちを惹きつける魅力であって、いつスコープが変わるかわからないから、瞬間瞬間に全力で自分に向けられているスコープを楽しみたいんだとおもう。 March 12th, 2014 10:32pm